今年の田植えが無事完了し、息つく間もなく胡麻や麦の作業も並走するここ最近の丸瀬家です。今回のブログでは、丸瀬家の人、丸瀬和憲がどんな経緯で自然栽培農家になったのかをインタビューしました。
話し手 丸瀬和憲(以下丸瀬)
聞き手 丸瀬家スタッフ菱谷(以下菱谷)

菱谷
結婚を機に「丸瀬家」を立ち上げた、農家の丸瀬和憲さんとお菓子屋の由香里さん夫妻。
そもそも、農家になったきっかけは?
丸瀬
農家になる前は、長期間ヨーロッパの各国(イタリアのフィレンツェや、オーストリアのウィーンなど)に滞在して、革の鞄を制作していたんだよね。
そこで暮らしている頃、2008年にリーマンショックがあった。
暴動があったり街が混乱してる状況で、鞄を作って自分のやりたいことやっていたんだけど、かたや現地の同世代の友達はアルバイトの仕事もないよ、というような状況にあって。
そんな中で、自分が鞄を作っていくことで本当に人を幸せにできるのか、みたいなことを感じるようになったんだよね。
菱谷
それぐらい、現地のリーマンショックの影響は大きかったっていうこと?
丸瀬
そういう混乱した国に住んでたことないからさ、ストライキがバンバン起きたり、同じ世代の学生の子たちにアルバイトがないみたいなのは信じられないわけよ。だってその辺にカフェやバーはいっぱいあるのに仕事はない。日本では考えられないよね。
彼らの言語ってすごい元気で明るいからさ、ラテンで、メロディックで。だから、彼らの話す声だけを聞いてたら、何も混乱してない印象なくらい明るいの。でも話している内容の意味を理解すると深刻なもので…
そうしているうちに、今まで考えたことのなかった、お金や社会についてとか、自分の人生についてとかを考えるようになった。
お金ってなんだろうとか、お金なかったらどうやって生きていくんだろう、とか。
生きるとは?死ぬって何?とか、 色々考えるのが初めてだったんだよね、多分、人生で。
菱谷
そこから「農家になる」というビジョンへ、どのように繋がっていったの?
丸瀬
考えを巡らせる中で、もっと多く困ってる人の命を助けるには自分に何ができるんかなっていう視点になって。
世の中がこんなに乱れて、 仕事もお金もなくなりましたってなったら、どうなってくんだろうなって考えたら、 「いや、とりあえず食べときゃいいんじゃないの⁉︎」みたいなことを、考えるんだよね。
みんなが困った時には、結局はまず食べ物が必要なんじゃないの、って。
で、そこに自分の「もの作りの欲求」を重ねたら、自分の欲求を満たしながら、 多くの人を幸せにすることができる…もう究極はそこなんじゃないかって思ったんだよね。
ずっともの作りが好きな自分はあって。こういうことを考え始めた時に、初めて野菜作りとか米作り、農家のことが、もの作りの対象に見れたっていうか。
「農業もものづくりじゃん!」っていうのは大きな気付きだったかな。
あとは、イタリアとかの文化では、スローフードの考え方や、アグリツーリズムっていう、農業を観光化するような農村体験とかがポピュラーで。
日本では農業のことにアンテナ張って生きてこなかったから感じ取れてなかったんだけど、延べ3年くらいの長いヨーロッパ滞在の中でファームステイもする中で、リアルな農家さんの営みに触れて感じたのは、「全然日本と違うな」っていういい印象を持った。
菱谷
農業や農家に対するイメージがガラッと変わったんだね。
鞄作りへの未練というか、手放すことへの不安や惜しさはなかったの?
丸瀬
どんな人にも本当は自分の作った鞄を持ってほしいと思っていたけど、世の中が混沌として、カフェのバイトもないっていうような人たちを目の当たりにして、そんな状況の人に鞄を買ってもらいたい、使ってもらいたいと思っても、そりゃ無理よね、と。
経済的に混乱した状況になってでも買う人はどういう人かというと、もうそれなりにお金を持ってるような人たちだと思うんだけど、
じゃあ、自分はほんとにその人たちにだけに届けたいのか、とか、
美術館に収蔵してもらうようなアート作品を 作りたいのか、みたいなことを考えると、それは別に今じゃなくてもいっかな、と。
菱谷
今自分がやるべき、そしてやりたいエネルギーが湧いてくるのが、その状況下でピンと来た「農業をする」ということだったんだね。
丸瀬
いろいろ考えを複合的に巡らせる中で、農業を始めることを決めた。
でも、今せっかくヨーロッパにいるから、いろんな農家さんを見たり、海外で農業やることも視野に入れつつ、旅する中で農地を探すことも考えてた。
そんな中で思い立って、自転車を買ってヨーロッパでの1年半の旅に出たんだよね。

菱谷
と、ここで話を一旦区切りまして、この先の話はいづれ「丸瀬冒険記」と題して、別の記事でたっぷりご紹介したいと思います。(編集し甲斐のある、ロングなトークになりまして)
鞄を作ることを手放し、ヨーロッパから帰国後、農業への道に舵を切った丸瀬和憲。
岩手県の「自然農園ウレシパモシリ」という場で自然栽培を学び、故郷である鳥取県米子市で農家としてのスタートを切ることになります。
なぜ今の道を選び、生業としているのか。興味深く話を聞かせてもらいました。
まだまだエピソードが尽きないこれまでの経験について、またこの場で記事にしてお伝えしたいと思います。